北川さんが死んじゃった!大好きだったのに。
ヘルパーをして五年、様々な出会いと別れを繰り返してきた。でも北川さんとのひと夏の経験は私にとって特別のものだった。
北川さん宅へ初めての介護の日、うぐいすの声に癒されながら、坂のある生田緑地を自転車で走りぬけた。
この道、いつまで通うことになるのかな?
先輩の中田さんから北川さんの病状は聞いていた。介護度5、末期の肺がんと、重度のパーキンソン病を患っている。歩くことも出来ない。今日は引継ぎの中田さんが一緒だから少しは安心だけど。チラッと不安がよぎった…
玄関のチャイムを押すと庭の方から、私が好きな八千草薫似の奥様が柔らかな笑顔でお出迎え。ゴムの手袋をはずしながらドアを開けてくれた。
奥のベッドルームに酸素ボンベが見えたときちょっと緊張した。でも明るくご挨拶!
皺だらけで白髪も少し、禿げに近い。痩せこけた頬が死にそうなおじいさんという印象。
『あれぇ、老けて見える。たしかまだ六十台のはず?』
綿毛布からは、くの字に曲がっている細い足が見えていた。でも北川さんの目が私を見て笑っていた。
「ハロウ!ハウ、アーユー?」
ハッ、いきなりの英語。流暢な発音、
『えっ、外人!まさか?!聞いてないヨゥ!』
中田さんがそばで笑いながら教えてくれた。北川さんは声もあまり出せない。痰もひどいので、日本語の発音よりも切れのいい英語のほうが楽だからチャンポンして使っているという。納得した!
ん!なんだこの部屋!材木の切れ端がその辺に転がり、訳のわからない箱のようなもの、S字フックに色んなものがぶら下がりベッドまわりを賑わしていた。
「北川さんは発明おじさんなのよ」
キョロキョロしていたら中田さんが作ったものを見せて細かく説明してくれた。元気な頃は日曜大工が趣味で部屋まで増築したらしい。工夫をこらして合理的に暮らしているとは言うものの、私にはゴミの山に見えて仕方がなかった。
北川さんが咳き込んで痰を吐きだそうとしている。中田さんが手際よく、なぜか口元から痰トレイまでティッシュを何枚もつなげている。血の混じったような茶色の痰が出てきた。
「ふき取りましょうね」
私のセリフを途中で遮り北川さんは手を挙げて
「ウエイト」
このぐらいの英語なら聞き取れる。でもどうして?
北川さんは痰をふき取らない。口からの痰をずっと垂れ流しにしておくのだ。ティッシュを下に敷いて放っておくと少しずつ下のトレイに流れ着く。北川さんはそれを『サイフォン方式』だと短かい英語まじりでお茶目に私に説明してくれた。相当苦しいはずなのにおかしな人。でもなんだか楽しい。
私のヘルパー仕事は、最初にいつも大工仕事から始まる。寝たきりの自分が、どうしたら快適なベッド生活を送れるか、いつも頭の中で考えている北川さん。私はただ指図されて動くだけ。鏡もヘアーブラシも動く人差し指で取れる範囲に計算して置いておく。綺麗好きでおしゃれな方だった。静かな口調だけど生き生きとした目の表情を見ていると、重病人には見えないから不思議。前向きに生きている北川さんにはいつも元気をもらっていた。将来私が寝たきりになったとしたら絶対に使わなくては、と思う手法、工夫も一杯でホントに感心してしまう。
「ルッキン・・・・・・・ピースオブ・・・・・・・・・」
なんて英語で説明してくれるんだけどこれまた全然わからない。何度も何度も聞きなおすとあきらめて
「十五,五センチの切れ端を探してきて」
日本語が出る。いやな顔もしないで淡々と…
両手が思うように動かないのに鏡に映してパソコンまでこなすのだから驚いてしまう。
レーザーポインターを両手が不自由な北川さんは上手に使いこなす。
「フット、カイカイ」
光を足に当てて冗談を言う。光を壁に当てていい加減な絵も書く。
怒ることもイライラする事もなく、どうすればこの空間を快適に過ごせるかいつも考えていた。穏やかでユーモアがあって利口な人。
北川さんと話していると楽しくて仕方なかった。病気でなかったら今頃は、仲良し奥様と大好きな日曜大工をして老後を送っていたのだろう。窓の外に目をやると、北川さん手作りの変わったフェンスがこっちを見ていた。
ある日ヘルパーステーションから、北川さんが十日ほど入院すると電話が入った。奥様が九州のご実家に里帰りするらしい。
三日後、決められた時間に病室を訪れた。二時間の介護。ドアを開けると北川さんが私の顔を見るなりメモをくれた。震える手で一生懸命に書いただろう読みづらい文字。
『女神が来てくれた 助かった うれしい』
北川さんを見ると、いつもの長ーい茶色の痰が、ティッシュもなくベチョベチョにして口のまわりを濡らしている。看護士さんがなかなか来てくれなくて私をずっとずっと待っていたのだ。夫からも聞いた事のない「女神」なんてセリフ。
私は嬉しくて切なくて涙が落ちそうになり、慌てて布団を直すふりをした。
古い病室なのに一日一万七千円もする。なのに殺風景な個室。癒される景色もテレビも何もなく、病気の治療だけで患者さんの心のケアはままならない。
看護師の人手不足は当たり前、北川さんの奥様はそれを十分承知していたから実費でヘルパーを派遣していた。何のための病院なのか時々疑問が湧く。白壁を見ているだけでも気が滅入って余計病気になるじゃないか。白衣なんかやめてカラフルで可愛いエプロンにしたら患者さんは気が紛れて喜ぶのに。
北川さんは毎日ベッドの回りを自宅と同じように改造していった。私は言われる通りのお手伝い。ダンボールを集めて箱作り、物を吊るすS字フックが冊周りにいっぱい。まるで横着者の部屋みたい。看護士さん達は見回りに来るたび苦笑いをして帰っていった。痰をサイフォン方式でのんびり出そうとしている北川さんに、さっさと終わらせたいのか
「吸引機を使いましょう」
断る北川さんをまるで変人扱いだ。見かけだけで判断している看護士さんが恨めしく見えた。
『北川さんの事、何もわからないの??』
私の心は返したい文句でいっぱいなる。
私を見送る北川さんの目がいつもさみしそうだった。
「北川さんが亡くなったわよ」
突然の電話。中田さんが静かに話す声が余計ショックだった。
「なぜ?どうして?」
『死』の原因は床ずれだった。
なんてひどい!自宅で床ずれは全くなかった。じょくそうは看護婦の恥!って昔から教えてもらっているはず。
頭が良くて、家族に愛されて、辛さも見せずにいつも明るくて、短い時間だったけどいつのまにか北川さんを尊敬していた。北川さんの強すぎる気力、精神力を見ることが出来、生き方、死に方を教えてもらった。北川さんに出会ってから、私は何度自分の将来の姿を想像しただろうか。いつかその時がきたら北川さんを思い出してみたい。でも自宅介護を受け入れてくれるような思いやりのある家族を作るのが先かな。頼りない夫のボサボサ頭がよぎった。
せみの声が何度も何年も通り過ぎた。北川さんと話したくて使っていた英和辞典。
もうとっくに片付けたけど、携帯電話の番号だけは一生消せない。
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