私の歩んだ人生 〜 えびグランマこと海老原さち
父と母の血を受け継いだ私。
「お父ちゃんと結婚する」
子供の頃から言い放っていた程、父が大好きだった私。
父は、私に柔道の巴投げや竹馬の乗り方、カエルの捕まえ方まで何でも詳しく教えてくれました。
母は躾だけは口うるさく、それでいて人に親切で誰でも助ける強い人でした。
好奇心旺盛な両親のおかげで手回しの蓄音機やレコードプレイヤー、篠笛や三味線まであり、
幼い頃から色んな童謡もたくさん聴いて育ちました。
近所に映画館があり、えみちゃん劇団と言う名前の小さな子供さんが座長のお芝居も掛り喜んで観ていました。
高校時代は文芸部!野口雨情を研究していた時期も。
文芸部の顧問の先生がプロの演歌歌手に詩を提供していたことを知り興味が沸いたことを今も覚えています。
バレーボール部、人形劇クラブにも入って幼稚園巡りをしていたことが今の興味に繋がっているような気がします。
真面目かと言うとそうでもなく、服装学院の学生だった頃、ハウスマヌカンのアルバイトと映画に夢中で、規則と門限を破ってお酒を飲み、寮長たちに吊るし上げられたこともあります。
若い時は行き当たりばったり旅ばかり!
日本の最北端礼文島や、最南端の沖縄の島与那国まで制覇。
撮った写真の中に、いつも思いついた文章を書き込んでいました。
「いつも何かを考えてるね」
母に何度も指摘されてもいた、文学少女でもありました。
子供が成長して時間ができた五十代後半!
作詞の先生、エッセイの先生の教室に通い初めました。
ちょうどその頃、嫁ぎ先の義父母や私の両親。
独身だった叔母までが体調を崩し、十年間の遠距離介護を経験。
体が大きかった父のためにと介護ヘルパーの資格を取った後の介護。認知症やうつ、脳梗塞などいろんな病気と戦って亡くなった身内を看取り、電車の中でもたくさんの介護日誌を書き綴っていました。いつかは本に出して身内に残してみたい夢。
今、詩やエッセイを書いたり、俳優養成所に通っているのも、子供の時の思い出があったり新しい事に何でも挑戦してみたい気持ちもあるから。
結婚生活も100%幸せだったかと言うとそうでもない。
それでも色んな方と友達になりいろんな形の人生を知りました。
まだまだ日記は増えそうでエッセイがたくさん書けてます。
最近はコロッと忘れてしまう自分もいます。
身内ばかりでなく友達まで亡くなって寂しい思いも。
まだまだこれからも、楽しいことを見つけてもうちょっと頑張って生きたい!
【主な受賞歴】
因幡晃作詞コンテスト(2006) 佳作
第31回三木露風賞新しい童謡コンクール(2015) 優秀賞
第48回日本作詩大賞(2015)新人賞ノミネート